トラック同士のバトル!速度競争から学ぶ安全運転の大切さを考える⚠️#プチ渋滞

今週のお題「最近変えたこと・変わったこと」
◆東京と名古屋の二拠点生活◆
変わったこと。
それはまず東京「中目黒」と名古屋「西区」の二拠点生活を始めたことでしょう。
中目黒は東京の至る所に行くにも、とても便利な所だと分かりました。
地下鉄は始発があるから座れます。
特急でも急行でも、すべての電車が中目黒駅に停車します。
新宿に出るのも乗り換え無しです。
さらに、名古屋に戻る時は、電車によっては新横浜駅まで乗り換え無しで移動が可能です。新横浜から新幹線に乗れば、次は「名古屋」です。
◆名古屋と東京の移動方法も大きく変わった◆
高速バスを利用するなどの移動手段も大きく変わりました。
新幹線に乗って名古屋と東京を往復するのが当たり前でした。
時間的に一番早く移動できるからでしょう。
移動手段の変更の最大理由は、やはり年金生活で収入が限られていますので、出費を減らすことにあります。新幹線料金と高速バス料金を比較すると、片道で5000円以上の差が出ます。
だから名古屋と東京の移動はもっぱら「高速バス」を利用するようになりました。
年金生活ではのんびりと、いろいろな刺激をもらいながら、自由な時間の使い方があることに気が付きました。時間的に余裕があります。
◆新東名は「ほぼ直線」◆
名古屋から東京までの高速道路の走行距離は、新東名では315.4km、旧東名では325.5kmと言われています。約10㎞の差があることをご存じでしょうか?
それだけ、新東名は真っすぐに走っているのです。
だから、本を読んでいても、車(バス)酔いはほとんどありません。
順調に100㎞/hで走行できれば、わずか6分程度の差と思われるでしょうが、新東名は3車線もあったりで、それ以上の時間短縮になっています。
◆現役時代の車移動の思い出◆
現役時代は、高速道路移動も含めて、年間3~4万キロ、社有車の運転をしていました。
高速道路では「団子」状況で車が連なっていることを常に感じていました。
特に車間距離を取らないドライバーの特徴も目の当たりにしており、だいたい3台が車間距離を取らずに走っている団子状の車の集団では、3台目が追突事故を起こし、多くのドライバーに迷惑をかける結果になっていることを実感していました。
それと同様に、大型トラックの90㎞/hの定速走行でのプチ渋滞の原因になっていることもよく目にしていました。90㎞/hの走行が悪いわけではありません。
90㎞/hで走っていても、人が運転しているわけですから、少しの上り坂などでその速度が90㎞/hを下回ったりすることもあります。だから、定速機能の持つトラックが定速機能を持つトラックを追い抜こうとすることが発生します。
その状況では、理論上、90㎞/h制限のトラックでは追い抜くことは不可能です。
少し速度が遅かったトラックが再び定速90㎞/hに走り始めると、追い抜きを掛けていたトラックと並走する時間が長くなり、その分、後続の車の渋滞になってるのです。
後方では車間距離が少なくなる車の団子が発生し、追突事故発生のリスクが増えます。
◆追い抜かれるトラックの変わって欲しい「新たな運転エチケット」提言◆
郊外の道路で法定速度+αで走っていても、後続に数台の車が並ぶと感じたことのある人も多いと思います。
そう感じた時は、私は安全に止まれる場所などに車を一時退避させ、後続の車を先行させるようにしています。それを理解してくれるドライバーは追い抜きの時に「ハザードランプ」で感謝の意を示してくれることもあります。これが安全運転のエチケットなのかもしれません。
高速道路で自分のトラックを追い抜こうと並走したトラックを感じたら、自らのトラックを80㎞/hくらいに少し減速するなどの配慮をすれば、追い抜きのトラックはスムースに走行車線に戻ることができます。
◆法定速度を守っていると宣言しているけど◆
高速は80㎞/hの速度で走ると宣言して、高速道路を利用している運送業者のトラックを見かけます。省エネ的にも、法的にも全く問題はないでしょう。しかし、その車の速度は70㎞/hになったり速度が一定ではありません。その車を定速装置90㎞/hのトラックが追い抜こうとします。追い抜かれようとしたトラックは自分のトラックを定速の80㎞/hに戻そうとアクセルを踏みます。一時的に速度が上がります。
そのトラックの後方では、走行車線から追越車線に車線変更する車などで、プチ渋滞が発生しています。車の団子状態での走行が行われ、交通事故のリスクが増大しているように感じています。
周辺の状況判断をしっかりして、追い抜かれたトラックは追い越そうとしているトラックを少しでも早く走行車線に戻れるように配慮することが大切だと思っています。
運転上のエチケットを少し変えてみてはいかがでしょうか。
みなさんはどう思われますか?

2026年7月23日 作家 澤 我二

雑学ノート:私の人生の薬味

今週のお題:薬味
VOL-6-9 建設業に興味のある若者と共に(続編9)
「雑学ノート:私の人生の薬味」
人生を楽しく元気に生きよう

◆カウントダウン◆
ブログを始めて1年半以上が過ぎ、毎週木曜日に投稿させていただいた回数も、今回で91回目となりました。100回までテンカウントとなりました。
ブログのテーマは本当に難しいと思う毎回です。
◆先週までは涼しくて過ごしやすかったのに◆
2026年7月16日、朝3時。気温29.2℃。25度をはるかに超えている状況です。
2時に起きた時は30.1℃でした(ヤフー 名古屋市の天気)。
昨日15日の昼間に外出した時は、本当に暑さが皮膚にへばりついた状況でした。
気温が高く湿度も高い状況なのでしょう。
建設業だけでなく、外で働いている皆さん、本当に体調には十分気を付けてください。
◆教育室長として感じる建設業に興味ある若者達の変化◆
建設業の仕事に対する意気込みは、男性よりも女性の方が強いと感じています。
男性が転職を求める理由に、「結婚するために恥ずかしくない職種」として選んでいる事もあります。男性の建設未経験の人が、実務で建設業に派遣される基準として「やる気があるか」「素直か」「へこたれないか」が現場で求められています。
前職と比べれば、はるかに「きつく」「気候に左右され」肉体的にも精神的にも大変だと思います。
派遣先の建設会社も「3年以上の経験者、とか、1年以上の経験者」を求めており、未経験の建設派遣希望者には「この1年をどう乗り切るかによって、これからの人生が大きく変わりますよ」とは伝えます。
前職と比べてしまうと、建設業は本当に厳しいと感じると思います。
しばらくすると「えっ、あの人、やめてしまったの?」と思うこともあります。
◆昭和人間が多く残っている建設業界の実務の世界◆
派遣前教育では「あまりきついことを言わないように」的なことを言われています。少しきつい指導をすると「こんなことを言われた」と会社の派遣責任者に愚痴る若者もいるご時世になっていることも事実です。
私としては「そんなにきつく言ったつもりはいないのになあ」と思ったりします。
だから、今は方針を変えています。
現場には多くの「昭和時代の職人、職長、先輩達」がまだまだ多くいます。
ホワイト的な指導方法では、実務で現場に出た時に大きなショック、講習と実務のギャップを受けると判断しました。
私もどちらかというと「昭和人間」です。
だから、ルールを決めました。
講習で「同じことを三回説明させると態度が変わる」と事前に説明しています。
現場に行けば「これで同じことを三回説明している、何回言ったら分かるんだ」と怒られることがありますよと、伝えているのです。
だから、事前に「同じことを3回言わせると、私は、昭和時代の熱血指導担当に豹変するぞ」と伝え、昭和時代の指導方法を、あえてちらつかせて講義しています。
◆ノートを取ることを忘れている◆
前職と比べると建設業では「重大災害」が起きている状況です。
その重大災害を防止するためにも、そして「品質確保」するためにも「決められたことを、決められた手順で」多くの人の力によって仕事が進んでいることをまず理解していただくようにしています。
その為には、ノートを付ける癖を身に付けて欲しいと口酸っぱく伝えています。
メモ紙にちょこちょこっと書くのとは違い、日付で追えるようにノートにしっかり書き留め、「あの時何を言われたのか」必ずフィードバックできるようにしておくことが大切だと力説します。
そのノートは「自分のため」であり、人に見せるものではありませんので、多少乱雑でも、走り書きでもいいのです。
慣れてくれば、スケッチなどを書き添えるなど、遊び心も自然と現れてきます。
定年を迎える頃には数多くのノートができ、読み返すと人生の思い出になっていると感じることがあるでしょう。
人生を振り返った時の食事会でも「特別な薬味」になるに違いありません。
◆世代を超えたお付き合いのできていることに感謝◆
先日、派遣されることの決まった(自分の娘よりも若い)女性が「研修の間、本当にお世話になりました」と言って「気持ちのプレゼント」がありました。
その女性はなかなか派遣先が決まらず、焦りや自己嫌悪感に襲われていたと思います。
派遣先が決まるまでの待機社員は常に数名います。
いろいろな立場の待機社員であり、その女性だけに「気にするな」という話をするわけにもいかないので、自分の経験談などを皆に共通な話をせざるを得ません。
時にはその女性には「自分の事なんだろう」と思ってもらえるようにやんわりした話をしていたのも事実です。
その女性から、感謝の言葉を頂いたことはとてもうれしかったです。
「私も仕事で行っていることだから、気を使わなくてもいいよ」
受け取りをお断りしました。
「先生も高齢だから、体に気を付けて美味しいものを食べて下さいね」
そう言って、フルーツの入った数個のゼリーを頂きました。感動しました。
「ありがとう」と素直に有難くいただくことにしました。
◆人生トラック◆
VOL6-8 で「人生トラック」の話をしました。昨年のクリスマスイブの日でした(2025年12月24日)。ヤフーで「人生トラック」と検索すると表記されることにはびっくりしました。はてなブログの強さを感じました。
そのお嬢さんのお父さんよりも、私は高齢だと知っています。
「人生トラック」の話は、新しい待機社員が来るたびにお話をしていますから、その女性は「また同じ話をしている」と感じていたと思います。しかし、「人生トラック」の話は「雑学」を交えての話ですから、時によって話している内容が変わります。
そこに、私の人生経験や人生論が入っていることも事実です。
その話を聞いて、その女性は「内に秘める何か」を感じてくれたのかもしれません。
世代の違う人との交流は、作家としてどのようなことをテーマにするかを模索するためにとてもいいことと思っています。頑張って継続していきたいと思っています。

2026年7月16日 澤 我二

福井の名所、グルメなどがテンテコ盛りのラッピングバス

お題「地元では当たり前のものなのに、実は全国区ではなかったものってありますか?」

◆街ウォッチング VOL3-13 福井のラッピング観光バス◆
福井東口のバスロータリーで、ラッピング観光バスを発見しました。

ラッピングの技術が発達しています。
知られているラッピングには、新幹線とミッキーマウスなど、夢のコラボなどもありますが・・・・風にもめくれず、爆走しているなんてすごいと思います。
◆観光バスに書かれた「絵」の内容◆
観光バスに書かれた数々の絵については、福井県民以外の人にほとんど知られていない物ばかりかもしれません。
もちろん「福井→ズワイガニ」は有名だし、「東尋坊」と言えばサスペンスのロケ地としても知られているものがあります。
では、ラッピング観光バスに描かれた絵を、すべて理解していただけるかなあと、ちょっと心配になりました。
◆ナンバープレートのこだわり:153(いこっさ)◆
福井弁で「行こうよ」という意味です。
バスに乗って、いろいろな所に出かけてみようと呼びかけています。
模型を見たことがありましたが、私も実物を見るのは初めてでした。
バスの模型のナンバープレートも「153」です。


◆福井の有名どころ◆
このラッピングの絵は、福井の事を熟知しているとその意味も分かります。
・永平寺、一乗谷(一乗谷将棋: 酔象の裏駒「太子」)、東尋坊、恐竜博物館、芦原温泉(女将の会と日本酒)、三国の昔の小学校(現在博物館)などの福井の観光地、
・水ようかん、おろしそば、ソースかつ丼、ズワイガニ、サバのヘシコ、お米のコシヒカリ(福井の「越(こす)の国」で品種改良されて「ひかり」と命名されたお米の名前→越すの国の光→コシヒカリ)などの福井の美味しいもの、
・世界に誇る福井商のチェアダン、連続テレビ小説 「ちりとてちん」、競技かるた「ちはやふる」、鯖江の眼鏡、越前焼、400年の歴史を持つ若狭塗のお箸、紫式部、お市、などなどがユニークに描かれています。
・そして、大きく描かれている男性は誰なんだろう?と疑問を持ってしまいましたが・・・・・福井をこよなく愛する「お笑いタレント・パックン」こと「パトリック・ハーラン」氏の事も忘れてはいけないでしょう。
皆さんはどのような人生の思い出を「ラッピング」にして閉じ込めますか?

2026年7月9日 作家:澤 我二 アップ

蕎麦と素麺

お題「旅行先で食べた美味しかったお店や料理は?」

◆街ウォッチング VOL3-12 そうめんの世界◆
福井は「おろし蕎麦」が有名です。
確かに、おろし蕎麦は美味しいです。
土地があまり肥えていないエリアで採れる蕎麦が美味しいと言われています。
だから、信州とか越前地区の蕎麦が美味しいらしいです。
◆福井は蕎麦で有名だけど◆
蕎麦はいつごろから今の状態で食べられるようになったか気になります。
古くは縄文〜弥生時代には蕎麦が食されていたようで、考古学調査で縄文時代晩期~弥生時代の遺跡から蕎麦の実が見つかっていることからも証明されています。
その頃から、蕎麦が栽培されていたと考えられています。
しかし、当時は「そばがき」「そば餅」「そば粥」として食べられていたようです。
「蕎麦」として文献に登場したのは797年の奈良時代末の史書『続日本紀』です。
その頃は「雑穀」として考えられていたことも記されているそうです。
◆そば切り◆
今日のような「蕎麦」が登場するのは、室町時代から安土桃山時代に「そば切り」が登場したのが始まりと言われています。
長野県塩尻市宗賀本山の名物そば切りは、宝永3年の「風俗文選」(1706年発刊)に、松尾芭蕉の門下の森川許六により「そば切りといって もと信濃の国本山宿より出て あまねく国々にもてはやされける」と記述されており、中山道本山宿(69次の32番目)から全国に「そば切りが」広がったことが紹介されています。
そして、江戸時代になって全国に一気に広まったようです。
◆素麺の歴史◆
一方、日本の素麺(そうめん)は、今から1300年ほど前、奈良県桜井市の三輪地区で素麺として誕生したと言われています。
1300年ほど前、飢饉や疫病に苦しむ人々を救うために、大神神社の宮司の次男が救済の方法を考えていた時に、夢の中で神様の啓示を受けたらしいです。
三輪の里で小麦をつくり、水車の石臼で粉を挽き、湧き水でこねて糸状にした食物で人々を救うことができたと言われています。
それがそうめんの始まりのようです。

◆福井の歴史との照合してみると◆
そうめん(素麵)の歴史は1300年ほど前というと、福井の白山を初めて登った「泰澄(たいちょう)」の時代とも重なります。白山に初めて登頂した僧侶です。
福井は白山信仰で6千とか8千の僧侶が暮らしていたとか。
一向一揆や、武士が生まれると書く「武生(たけふ)」など、日本の歴史でも越前は血の気の多い人達が集まっていたことでも知られています。
一方、蕎麦については、「そば切り」が始まったのが安土桃山時代と言われています。
織田信長の時代と重なります。
福井県一乗谷に織田信長が攻めてきた歴史は知られています。
有名な三姉妹(お市の娘達)が戦国時代を生き抜いたことは有名な話ですね。
きっと、そば餅やそば粥などを食べていたのではないかと想像してしまいます。
◆そうめんを頂きました◆
そんな状況の中で、そうめんを提供している福井のお店を発見しました。
地元のおいしい魚のお刺身などを頂き、最後のシメで、ゆずとそうめんをしっかり頂くことができました。

おろし蕎麦とは違って、美味しい食事を頂いて後のそうめんはとても印象に残りました。
確かに、福井の地元有志の集まりの会食でしたから、おろし蕎麦は地元の人にはあまりにも食べ飽きたものだったかもしれません。
つるつるッと、のど越しの良い素麺はとても美味しかったです。

2026年7月1日 澤 我二
(7月2日木曜日にブログアップできないので、一日早くアップしました)

道具としての話術

今週のお題「こだわりの道具」

◆話術◆
「作家:澤我二(さわ こうじ)」という自分と違うもう一人の自分が、定年後の仕事として建設を目指す若者に「建設業界とは何か」を教えています。
建設を目指す若者には、それぞれの経緯のある人の思いが隠れています。
「建設には夢があるんですよ」
その一方で、建設業界の厳しい現実も話をします。
「建設業界は、事故で亡くなる人、大けがをする人、労災が多い業種だからルールや手順、そして先輩の言うことはしっかりと守ることが大切だ」
その為に自分がどうしたらいいのか、知識を付けて自分のために建設に関わる資格を取得することを薦めています。
「建設の仕事は資格がある人が中心となって、いろいろな仕事ができているんだよ」
そんな話をしています。


◆世界で初めての建設のルールとは◆
「世界で初めて建設に関係するルールってなんだろうね」
その話に納得してくれる若者も多くいます。
「ハムラビ法典にそのことが書かれています。雑学によって人生が変わります。そのためにいろいろ本を読んでくださいね
私のこだわりの道具は「話術」です。

2026年6月27日 澤我二

リーズナブルな美味しさ!地元フード巡り in 福井 #地元 #グルメ

お題「一度は食べていただきたい」

◆街ウォッチング VOL3-11 福井めぐりの食事◆
福井の名物は、冬の「ズワイガニ」と思われがちです。
確かにズワイガニは美味しいです。でも、とても高価です。
先日福井地区でいただいた、地元のリーズナブルな、この季節の食事に注目してみてはいかがかと思っています。
◆旬の食事⇨桜鯛のしゃっぶしゃぶ◆
初夏に産卵をする鯛は、この季節に顔が赤くなります。
だから「桜鯛」とも言われています。
地元の「漁師飯(お茶漬け)」になっているほどおいしい隠れ食事です。
桜鯛のお刺身をご飯に乗せ、だしをかけていただく漁師飯です。
この漁師飯に近い食べ方として、この桜鯛の「しゃぶしゃぶ」にしていただくのが実は最高に美味しいのです。
旬のアサリのダシに、桜鯛をサッとくぐらせて、パクリと頂く。
鯛の甘みが口に広がります。


アサリのダシに鯛の甘みが加わり、最後は雑炊にしていただくのも格別です。
◆昔ながらのソースかつ丼◆
福井では名物ソースかつ丼も良かったです。
福井市片町にある本店は、週二日ほど定休日があります。
そのため、名物ソースかつ丼をいただこうと福井市内の本店に出向くと定休日にぶつかることがあります。
お店がお休みで、名物ソースかつ丼をいただくのを諦めた旅行者もいるでしょう。
福井市内にはソースかつ丼を提供してくれるお店が数店舗あり、それらお店は、お休みの日をずらして営業しています。
◆本店はお休みでも、その日に営業しているお店があった◆
名古屋から関係者を連れて、夜は鯛しゃぶを頂き、次の日はソースかつ丼を頂く予定でいました。
「ソースかつ丼の片町の本店は、明日はお休みだぞ」
地元の人に教えていただきました。
確かに、片町の本店はお休みでした。
しかし、福井市内では開いているソースかつ丼のお店もあることを教えていただき、無事「ソースかつ丼」を頂くことができました。
平日のお昼にもかかわらず11時半から並んで50分待ちでした。


やはり、その地域でいただく地元の食事はとても美味しいと思いました。
みなさんも、福井に足を運んで、地元の食事を楽しんでみてはいかがでしょうか?

2026年6月25日 澤 我二 アップ

戦国時代を生きた浅井三姉妹のゆかりの地

お題「初めて一人旅をします。一人旅でよかった場所、一人旅初心者におすすめの旅行先を教えてください。」
◆街ウォッチング VOL3-10 戦国時代を生きた浅井三姉妹ゆかりの地◆

歴史上激動な戦国時代を生きた浅井三姉妹のことが、少し前にテレビでも話題になっていました。
◆浅井家の三姉妹◆
永禄
10年(1567年)、お市は、実兄である織田信長の命令で近江国滋賀県長浜市)の浅井長政に嫁いだと言われています。そこで三姉妹が生まれました。
幼少時の面影の像が、道の駅「浅井三姉妹の郷」にあります。


浅井三姉妹は、浅井長政と正室「お市」との間に生まれた、茶々(淀殿)、初(常高院)、江(崇源院)の三姉妹です。
三姉妹はそれぞれ豊臣秀吉京極高次徳川秀忠の妻(正室・側室)となりました。
お市は、天下統一を進めた織田信長と
の血筋に関係していたことから、戦国大名家の没落や落城、多くの関係者の死を目の当たりにしました。
その後、三姉妹は福居(福井)にゆかりのある
豊臣家(羽柴家)徳川家の覇権争いに深く関わったことから、母・お市と並んで戦国時代を強く生き抜いた女性の代表として語られることが多くなりました。
◆福井の地形◆
京都から北陸に向かう時に北陸トンネルがあります。
北陸トンネルができる前は鉄道の難所であり、スイッチバックやループ式の鉄道敷きがありました。今でもその面影は残されています。
昔のトンネル群が今庄付近に残っており、鉄道敷の緩やかなスロープの面影の残る道路を、今でも通行することができます。自転車のサイクリングにはもってこいでしょう。
13キロにも及ぶ北陸トンネルができたことにより、京都と北陸方面が短時間でつながりました。更に新幹線でが開通したことにより、敦賀と福井は、今ではわずか20分で行き来することができるようになりました。
◆越すの国(難所)◆
この北陸トンネルのある峠は、行き来するのに大変な難所であり「越すのが大変な峠」であったと考えられます。そのために「越(こす→えつ)の国」と言われていました。
この地で品種改良された美味しいお米が「越の国の光るお米→コシヒカリ」と命名されたこともあまり知られていないようです。
さらに、「越の峠」の名残りが、京都から見てこの峠を境に、越前、越中、越後と現在でも言われています。「越」の文字が使われていた難所であることが分かります。
◆僧侶の街(一揆、武士が生まれる)◆
戦国時代にこの峠を越えて、織田信長が一乗谷に攻めてきたことも有名です。
越前地区は越前和紙の産地であるとともに、白山信仰で多くの僧侶も集まっていました。日本史上で、一揆も多く発生している事、地名に「武士が生まれる」と書く「武生」など、この戦国時代の面影が地名などにしっかり刻まれています。
佐々木小次郎の燕返しも、この地の一条滝であみ出されたのも納得できます。


昔の姿を追いかけて、一人ブラリと北陸地区の美味しいものを求めて、このエリアをめぐるのも楽しいかもしれません。

2026年6月17日 澤 我二 アップ